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古代史ファン最大の関心事、邪馬台国の所在地(1)

 

吉野ケ里遺跡

 

かつては、邪馬台国の場所について、九州説と畿内説が激しくぶつかり合っていました。講演会なども日本各地で行われていました。

 

学会では、ほぼ畿内説が有力なのですが、バランスを取るために、九州説に乗っかったり、九州説の立場になるよう勧められた学者もいたようです。

 

中国の史書「魏志倭人伝」によれば、3世紀前半の倭国は、約30の小国が邪馬台国を盟主とした政治連合体を結んでいました。

 

邪馬台国の位置によって、当時の倭国が九州北部に限られた地域政権か、ほぼ西日本全域におよぶ統一政権だったか、という違いが生じてくるのです。

 

朝鮮半島に置かれた帯方郡から邪馬台国への行程は、額面通りに受け取ると、邪馬台国は九州のはるか南海上にあったことになってしまうのです。

 

そこで、倭人伝の読みかえが必要になってくるのです。


古代史ファン最大の関心事、邪馬台国の所在地(2)

邪馬台国 卑弥呼

「魏志倭人伝」という中国の史書の記事が、日本の文献に紹介されたのは、「日本書紀」が最初です。

 

そこでは、倭国の女王卑弥呼(ひみこ)が応神天皇の母、神功(じんぐう)皇后であると考えられていることから、長らく、邪馬台国=大和朝廷と信じられてきました。

 

論争が始まったのは、江戸時代中期の朱子学者、新井白石(あらいはくせき)が地名の研究に基づいて、九州説を主張してからです。

 

これに対し、国学者の本居宣長は、畿内説で応じたのです。

 

論争は明治以降も続きました。


古代史ファン最大の関心事、邪馬台国の所在地(3)

1950年代、畿内説に有利な画期的な研究が、考古学から提出されました。

 

古墳時代前期(4世紀)の全国の古墳に副葬されている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が、畿内の勢力から配布されたものであることをうかがわせる証拠が確認されたのです。

 

そのうちの1枚に、卑弥呼の遣使の翌年にあたる正始元年(240年)の紀年銘があることから、三角縁神獣鏡が、卑弥呼に下賜(かし)された「銅鏡百枚」に当たるとの認識が一気に広まったのです。

 

ところが、この鏡は、中国では1枚も見つかっていない上に、国内での出土数は増え続けて、すでに400枚を超え、「卑弥呼の鏡」であるという根拠は危うくなってきたのです。

古代史ファン最大の関心事、邪馬台国の所在地(4)

三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が、「卑弥呼の鏡」であるという根拠が危うくなってきたことと前後して、1980年代後半、佐賀県の吉野ヶ里遺跡が大ブームになりました。

 

「倭人伝」に記された卑弥呼の宮殿を思わせる「楼観(ろうかん)、城柵(じょうさく)」を備えた遺構の発見に、九州説は大いに勢いづいたのです。

 

畿内説の弱みは、鏡の副葬された古墳の築造年代と卑弥呼の時代に、1世紀近い差があることでした。

 

しかし、近年の年代年輪学などの進歩により、初期の前方後円墳が卑弥呼の時代と重なる3世紀前半にさかのぼる可能性が高まってきました。

 

つまり、前方後円墳を出現させた初期ヤマト王権は、邪馬台国連合そのものであったという解釈が導きだされたのです。

 

もっとも、当時の鉄器保有量を見ると、九州北部が畿内を圧倒しているなど、畿内説では合理的に説明できない課題もあり、論争は容易には決着しそうにないのです。

邪馬台国への行程

邪馬台国への行程の話はややこしいですが、簡単にまとめておきます。

 

帯方郡(たいほうぐん 平壌南方)
 |  7000余里 南そして東
狗邪韓国(くやかんこく 加羅:朝鮮半島南端 釜山付近、倭国の北岸)
 |  1000余里
対馬国(つしまこく 対馬(つしま))
 |  1000余里
一支国(いきこく 壱岐(いき))
 |  1000余里
末盧国(まつろこく 唐津市(からつし)付近)
 |   500余里 東南
伊都国(いとこく 前原市((まえばるし))付近)
 |   100里 東南
奴国(なこく、なのくに 福岡市付近)
 |   100里 東
不弥国(ふみこく)
 |  水行20日 南

投馬国(とうまこく)
 |  水行20日、陸行1月 南
邪馬台国

 

 

()は呼び名と想定される地域です。

 

帯方郡から邪馬台国までは1万2000余里になります。

 

 

記述上のミスがあるのか、単位の認識が今と異なるのか、素人目にはさっぱり分かりません。

 

考古学者も歴史学者も科学的に検証してもらいたいものです。

 

楽浪郡の所在地が、現在の北朝鮮の平壌の郊外で、帯方郡はその平壌の南方といわれています。

邪馬台国論争 有力2説の主な根拠(1)

九州説と畿内説の主な根拠(1)

 

・行程

 

 ・九州説
  邪馬台国への「水行10日、陸上1月」は、投馬国(とうまこく)からではなく、
  伊都国(いとこく)からの行程として読む。

 

 ・畿内説
  不弥国(ふみこく)より先の方角「南」の記述は東の誤り。
  邪馬台国への行程のうち「陸行1月」は、「1日」の誤り。

 

・墓

 

 ・九州説
  「棺あれど槨(かく)なし」の記述の棺は、九州北部に発達した甕棺(かめかん)のことと考えられる。

 

 ・畿内説
  卑弥呼の墓の規模は、「径百余歩(150m前後)」とあり、
  前方部の直径が約150mの箸墓古墳(はしはかこふん 奈良県)が有力候補となる。

 

うーん、どうなんでしょうね、自説に都合のいいように読みかえているのか、まったく分かりません。

邪馬台国論争 有力2説の主な根拠(2)

九州説と畿内説の主な根拠(2)

 

・鏡

 

 ・九州説
  呉の年号である「赤烏(せきう)元号」や、実在しない年号の「景初四年」などがあり、
  近畿地方の鏡は魏から下賜された鏡ではない。

 

 ・畿内説
  卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられた西暦239年前後の紀年銘のある鏡が、
  近畿地方に多く出土している。

 

・おもな候補地

 

 ・九州説
  福岡県旧山門郡(みやま市 旧瀬高町・山川町)、福岡県朝倉市

 

 ・畿内説
  奈良県桜井市、大阪府八尾市

 

・その他

 

 ・九州説
  「鉄鏃(てつぞく 鉄製のやじり)」や「絹」など、「倭人伝」に記されている物品は、
  近畿より九州地方で圧倒的に多く出土している。

 

 ・畿内説
  纏向(まきむく)遺跡(奈良県)では、九州から関東に至る土器が出土。
  全国の交流センターのような存在だった。

 

 

貴重品を納めた箱などの封緘(ふうかん)に用いた封泥(ふうでい)が、大量に出たら、そこが邪馬台国とも言われています。

 

これが大量に見つかれば、たとえそこが沖縄でも信じるという学者もいるようです。

空白の4世紀、謎の4世紀(1)

中国の史書には4世紀の倭国に関する記事が載っていません。

 

3世紀は邪馬台国の世紀で話題が豊富、5世紀は今の天皇家の祖先である倭の五王の世紀でにぎやかです。

 

わが国では、この4世紀を、「謎の4世紀」とか「空白の4世紀」などと呼んでいます。

 

邪馬台国がそのままヤマト王権になったのか、あるいは別の勢力が邪馬台国を飲み込んだのか。

 

空白の100年間って、何か都合の悪いことがあって空白なのでしょうか?

空白の4世紀、謎の4世紀(2)

空白の4世紀の前後を簡単にまとめておきましょう。

 

・3世紀

 

 古墳が作られるようになった頃。

 

 邪馬台国の女王卑弥呼のお墓がつくられたのがこの頃と考えられています。

 

 日本独自の形といわれる「前方後円墳」や「円墳」「方墳」など、さまざまな古墳の形がある。

 

 (例)奈良県桜井市・箸墓(はしはか)古墳

 

・4世紀

 

 大和朝廷が成立した頃

 

 「空白の4世紀」といわれ、中国の歴史の本に日本のことが載っていないため、
 どうなったのかわからないナゾの時代といわれています。

 

・5世紀

 

 巨大古墳がつくられるようになった頃で、数百メートルもあるでかい古墳がつくられるようになりました。

 

 大山古墳(だいせんこふん:仁徳天皇陵)は世界一の面積を誇ります。

 

・6〜7世紀

 

 古墳の中に絵をかいたり、石をきれいに加工して積み上げたり、
 中の副葬品がゴージャスになったりしてます。

 

 (例)奈良県高市郡明日香村・石舞台古墳、高松塚古墳

 

 

なにしろ邪馬台国の時代があって、まったくの空白時代があって、急にヤマト政権が現れるのですから、知りたくてたまらない学者が、もどかしい思いをしているということなのです。

 

伊都国(いとこく)と纒向遺跡(まきむくいせき)の太陽信仰

3世紀前半の倭国は、大いに乱れ、30の小国があったのですが、
邪馬台国を除いて、代々王がいて、突出した国だったのが伊都国なのです。

 

2世紀終わり頃の話です。卑弥呼は3世紀の人物です。

 

その伊都国の王墓で見つかった首飾りの中に、
現代でいうピアスが2個含まれていたことから、
女性が埋葬されていたことが分かりました。

 

王墓には、大量の鏡も見つかりました。

 

王墓の向きは、足元が西を向き、頭が東を向いてます。

 

鏡が太陽に照らされ、王墓に差し込むようになっていたとか。

 

鏡は太陽信仰を表すことになり、女性が埋葬されたとなると、
この伊都国の王墓は、女王卑弥呼の姉妹か母のものの可能性があります。

 

鏡の割れた跡といい、卑弥呼は太陽の巫女という意味もあることから、
女王の霊が、新女王に受け継がれる太陽の儀式が行われたと言われています。

 

 

この伊都国の遺跡と同じように東西に遺跡が一直線に展開されているのが、
奈良県桜井市にある纒向遺跡(まきむくいせき)です。

 

3世紀の話です。

 

麻や桃の種が大量に見つかったようですが、
桃は不老長寿の象徴であり、儀式に使われた可能性があるとのこと。
また、麻は幻覚作用があり、これも儀式に使われた可能性があるようです。

 

鬼道(呪術)を使って人々を惑わしたと、
魏志倭人伝に書かれていることを思い出させます。

 

纒向遺跡の発掘の結果、3世紀全般から中頃には、
この地にとてつもなく大きな建物が建てられていたようです。

 

伊都国と同じ高床式の建物です。

 

総延長2.6キロの運河があり、7千の人口で人工密度が高かったようです。

 

いろんな地域の土器が見つかり、集められたことから、
倭国が大いに乱れ、30の国があり、卑弥呼が共立されたと、
魏志倭人伝に書かれていることが理解できます。

 

 

このことから、あくまで可能性として、

 

 伊都国の王墓が卑弥呼の可能性はある。
 あるいは、卑弥呼の姉妹か母の可能性がある。
 伊都国から纏向へ遷都した可能性もある。
 纒向遺跡に卑弥呼が住んでいた可能性もある。
 遷都によって、太陽信仰が伊都国から大和へ受け継がれた。

 

ところで、伊都国の鏡には、八つの花びらと八つの葉っぱが描かれていました。

 

平安時代の書物「伊勢二所皇太神御鎮座伝記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき)」によれば、
これと同じ鏡が伊勢神宮にも納められており、
しかもその鏡には天照大神(アマテラスオオミカミ)の魂が宿っているとのこと。

 

2014年の式年遷宮にて、御神体を新殿に移す遷御の儀(せんぎょのぎ)が行われました。

 

御神体である鏡は、普通名詞で言えば、神鏡(しんきょう)や宝鏡(ほうきょう)と呼ばれるものであり、
固有名詞としては、八咫の鏡(やたのかがみ)と呼ばれています。

 

八咫(ヤタ)というのは、ヤアタ(八咫)の略で、元々長さの単位ですが、大きいという意味合いです。
また、八という字は、末広がりで幸運であるため、日本人の好きな数字です。

 

神武東征の神話、あるいは、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏(ヤタガラス)と同じ八咫で、
カラスは太陽と関係ある鳥なのです。

 

大事なことは、三種の神器の一つである八咫の鏡が御神体となっている伊勢神宮にて、
現代においても、20年に1回、太陽の儀式が行われているということです。

 

邪馬台国の場所や、卑弥呼がどこの人だったのかは分かりません。

 

しかし、古代の人々の太陽信仰が、
今に受け継がれていることだけは言えるのかもしれません。

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